渡米

 

 人はこの世に生まれ物心がつくと 教育というものを受けさせられる 教育というものを自然に捉えることができるものは 社会に出て 一般的な生活を送ることになる 出世したりリストラにあったりといろいろあるだろうが 私は その教育 そのものを 否定していた 自由でいたかった 何事にも 束縛されず 高校に入ると学校には行かず ガソリンスタンド喫茶店 とありとあらゆる バイトをして小銭を貯め 17の 終わりに 渡米した

 

 

ところ変わってもやることは一緒で

違った事といえば今までガソリンを入れてた車がアメ車に変わった事や

お待ちどうさまーと運んでいた

モーニングのトーストがホットドッグになった位だった

でも生かされてるんじゃなく

生きてる感じが常にあり楽しかった

休みの日にハイウェイを仲間とドライブしてると

そこらじゅうにある岩肌を人が登っているのを初めて見た

鳥肌が立つ感覚が全身をおおい

仲間のマックに聞いてみた

何あれ!?

ロッククライミングだよ

やるか!明日

その言葉に躊躇なく答えた

YES

ライミングとは?それは常にフォールとの背中合わせ

岩肌に打ち込んだボルトにプロテクションをとりシングルロープを操りながら多彩なムーブをこなしていく

力と精神的そして戦略を描く頭脳

地球上でもっとも手強く美しいゲーム

私は没頭したそれから少しの休みを除いて20年

ただアスリートとしてはなく

インストラクターとして

 

帰国

アジの開きと味噌汁の味をどうにか覚えているか忘れているかの頃

日本に帰ってきた

目的はひとつ

フリークライミング底辺拡大

 

思っていた以上にマイナースポーツクライミングは本屋に行けばすぐにわかった

専門書籍がないからだ

 

長野の金峯山川西股沢のちの小川山は開拓初期のラシュだった

そこにくわわり持てるものの全てをだすきなどさらさらなかった

 

名を残すことはそれを望んでいる人がやればいい、私の役目とは違ってる

 

これだけマイナーならおそらく最初からアウトドアを指導するのは厳し




いだろ、まずはインドアからと考えた私はリサーチを始めた

 

当時オープンしてるジムは場所が遭難するんじゃないかと思うところばっかで

ほとんどが印刷やがつぶれましたー

のぼろ倉庫を改装して作ってるから

夏暑い冬寒い、おまけに客は自分が何か特別な人種だと勘違いしてるやつばかりだから

ますますこれからやろうと考えてる

人は足が遠のき

結果マイナーに拍車がかかるみたいな世界だった

日本人の悪いとこがもろに出てた

アメリカやヨーロッパはもっとフレンドリー

人種の差が大きかった

そこで考えたのはガレージジム

小さくてでもいつも人がパンパンで

ライヴハウスみたいなジム

なるべく駅近で遭難しないとこを

そんなとこは日本中探してもどこにもなかった

 

あれから20年日本中どこにでもジムを見かけるようになった

 

時代はもうオーナーシェフの店ではなくなっていた

 

主流は金余りの企業が

登れるやつらを雇ってジムを派手に作る

ちょーおもしれ!とか

マジ最高!とか

の若いやつにはピッタリのジムだ



人に任せるならやめたほうがいいなどと思ってる昭和枯れすすきおやじに未来はない

 

底辺拡大に多大な貢献をしたが

だからなに?!だろう

 

ボーボーと草がはえてる野原に道を作り

その道にどんどんいいものができて

良かったが

もう役目終了、燃えつきた

自分の命の灯が消えていくのだから

これ以上のタイミングはない

 

対岸を渡ったのは15年ぶり

この冷たい川の水も懐かしかった

 

息がきれる胸を抑え勾配がある山道をあがるとあいつが待っていた





開拓が始まったころ

まだボルトが打たれてないあいつをみたときムーブを考えるのが困難だった

被ったカンテから右上するとすぐに小さなぽっけが2つほどある

その上直上でもぎ取れそうなかちが斜めにひとつ

 

スタンスをなんとかぽっけにあげて

かなり距離があるがもぎ取れそうなかちからぶっとんで

ツルツル饅頭をとめる、熱々の饅頭を両手にして左足を掻き込みながらジブスホールドをスタティクにとめたとこで6メートル

残り約5メートル

ホールドらしいホールドはなくなる

 

昔の自分が、な、駄目だろと囁く

今の自分が、ああ、と呟く

 

そしてもうすぐ消滅する自分が笑う

 

諦めこそ人生、死ぬまで何回言った

無理の2文字を

 

死にそうになった木にスリングをまきラペルしながらその5メートルを見てみる

惚けたホールドしかないがブラッシングすると持てなくもない・・

ただ今は重力が入ってないから

 

更に掃除するとひとついいぽっけを見つけたその横にもある

念入りに掃除して軽くチョークをつけてから下に降りた

 

ハイボールとしては高過ぎ

ルートならボルト3,4本は必要だろう

・その時

ウネリ声みたいなのが聞こえたので

 

見上げると

掃除をしてチョークをつけたふたつのぽっけががギラギラと睨みつけている

ツルツル饅頭から

声が

できるのか!お前に!

あいつは息を吹き返した怪物のように更に睨みつけてきた

全身から吹き出る汗と心臓の鼓動は激しく

肺の中にある腫瘍はいまにも爆発しそうになった

その時暗くなった空から雷鳴が

そして激しい雷雨が

全身びしょびしょになっても

そこから動けない

雨は1時間続いた

 

私はびしょびしょになったが

あいつはまったく濡れていなかった

 

幕開け

11メートルの怪物退治はボルダーでやることに決めた

幸いこんな無謀なことをやるばかはいないので命ある限り貸し切りだ

ボルトを打てばビレイヤーが必要になる地獄の沙汰につきあわせることはできない

長い間酷使してきた指や手首、肘に肩、腰や膝それらのパーツにも

これが最後だ

頼むぞと言い聞かせた

もっとも言うことを聞くかは別として

2メートル×2メートルの厚さ20センチの反発ウレタンを2枚用意し

防水カバーで囲み怪物の下に

その上にスノコを強度が弱いとこはゴム製のバントでとめ上から薄いカーペットをひき、仕上げになるべく重さがある敷き布団をひいて防水シートを

!これでも怪物のめんたまあたりから落ちればどうなることやらマットの下準備に

昔なら半日仕事だか

THE60歳だと1日仕事だ、なんとか日没までに準備を終わらせると

あたり一面に山の夏の終わりを告げるあさぎまだらが飛んできた

ギリギリやっても

  • 11月半ばまで、岩の状態はよくなるが手がかじかんじゃうだろうその先は身体がもつかどうかも🤷
  • 医者が言った寒くなると肺炎になる可能性がそうなると厄介なのでなるべく安静にして身体を冷やさないで風邪をひかないこと!

言うことは何ひとつ聞けないが登るまではコンディションは大事だ

テント泊も考えたが近くのバンガローを借りて自炊することにした

近くのスーパーに行きむね肉と🥔ニンジンと米玉子、塩オリーブオイル

しょうゆを味噌を

買い込んだ

大量にたいたご飯は冷凍して

茹で玉子もつっこんだ

 

朝は味噌汁にご飯、茹で玉子

昼はバナナに茹で玉子

夜はむね肉と野菜を茹でオリーブオイルと醤油、多少の米

間食はキャベツかレタス

 

10日このメニューを食べ続けながら

初段から3段ぐらいまでのボルダーを登りながら身体を小川山仕様にかえっていった

 

2週間を過ぎたあたりからむね肉を100グラム増やして米も倍にした

代わりに朝は茹で玉子3個ですませ

昼間の水分は薄くした味噌汁と

水だけにした

 

4段を3つ位登ったとこで一度山を降りた

それから1週間は松本の民宿で

普通のものを食べ温泉につかり

ゆっくりとレストした

 

朝久しぶりに息子が破裂しそうなぐらいになったのを確認してから

 

再び山に入った

 

性欲こそが人間のエネルギーだ

とりあえず食べよか、とりあえず寝よかがあっても

とりあえずやろかは無いからだ

 

宣告をうけた後かなり精神的にまいったが

今は身体がそれに勝ってきてる

挑むならトライするなら今だ

あいつに

 

死闘

 

離陸ができない

極小ぽっけからとれそうな斜めかちにいく出だし

 

ツルツルの足はフリクションがなく

身体がひき上がらない、少し強引に引き付けた瞬間後ろにぶっとんで、もう少しで下の川に向かってダイブするとこだった

左の中指の皮はごっそりもってかれ

先行きの不安が感じられた

おそらくこの出だしだけでも

軽く3段はあるだろう

強靭な指力と身体の軽さが求められる

体重はギリギリまで絞り落としたが

苦手なぽっけがつらい

 

少し前だったら腱鞘害を恐れたが

駄目になったらそれでおしまい

なので

テーピングをして強引に始めた

 

中指から血が吹き出すころにはなんとか

とれそかちに触りはじめた

 

凍傷覚悟の川でアイシングして

バンガローに戻る

むね肉とニンジン🥔をゆで、オリーブオイルをかけ食べた

食後にリンゴを皮まで食べてから

 

夏が終わり誰もいなくなったキャンプ場に出た

静寂があたりを包みこみ

呼吸さえもできない

消滅してゆく怖さなど

今の孤独感に比べたらなんでもないだろう、消えていくことより生き続けていくほうがよっぽど恐怖だろう

頭はしっかりしてるのに身体は動かなくなっていくでも死ねない老人などまっぴらゴメンだ

 

翌日

とれそうなかちの横をシッカーでかためたので

当分は大丈夫だろう

万が一初登しても

いつかこのかちが取れれば

誰も登ることはできない

人間には




2,3日してかちが固まった頃に

トライすると神経が入ったのか

とれかちを捉えることができた

できてしまうと初段ぐらいに感じるから勝手なものだグレードは

 

ギリギリマッチできるかのホールドからツルツル饅起にランジ

てが入ったがそのまま振られ落ちるが

 

感触は良かった

間髪入れずにもう一度やってみると思いの外楽に止まったそのまま

ジブスホールドに左手を出してみたがこれもぴっしゃとはまった

 

怪物の目玉に向かってムーブを起こそうとしたとき

掻き込んだ左足が外れフォール

このセレクションまで約4メートル

グレードは3段

残りの6メートルが本番

自己責任のホールドはあのジブスまで

ラペルで降りながらもう一度手薄なホールドの確認と掃除をした

ついでに写真もとり

その日は引き上げた

 

とりのむね肉を200グラム

ニンジン🥔を皮はそのままで茹で

塩胡椒を味付けにして食べた

 

茹で汁にうどんをいれ

めんつゆにつけてフィニッシュ

写真を見ながら可能性が低いムーブを考えてみた

机上の計算なら明日にもできそうなんだが

眼を閉じてこのあわただしかった

数ヵ月を回想してるうちに深い海の底にひきづりこまれた

 

朝眼をさますと窓が結露している

このあたりは一足早い冬がすぐそこに来てる

ホールドの状態が最高で身体が悴まずに動けるのはあと少しだろ

今の体脂肪率を考えると

 

炒めた玉葱と温泉卵それにネギを刻んだ味噌汁を2杯飲み

川を渡った

 

ジブスから傾斜が緩んだところにあるメンタマポケットを左右2フィンガーで持ち、行っては行けない世界にある四角ピンチをとりにいく

一瞬怪物の笑い声が聞こえた気がしたが気にせずホールディングする

写真で見るより掛かりはよく

その左斜めにある丸ピンチをガストンで中継してもう一度左手でへの字のかちに送る

ここがとまればと!願いをこめて

いくが

今度ははっきり聞こえた怪物の笑い声と共にふっとばされる

7メートルのフォール

なるべく倒れないように意識して両足からいくが

落ちた瞬間、バリバリとスノコが割れる音ともに強烈な痛みが右膝を襲う

前十字靭帯がぶちギレて半月板が破壊されたかと思った

しばらく起き上がることが出来ずに膝の痙攣がおさまるまで待った

やはり駄目かと・・頭の中はもう白旗でいっぱいだ

仮にあのくの字をとめても

残り3メートルは結晶にのっていく

超スラブが待ってる

できるはずなどないのだ

この無謀はフリーソロに勝目はない

 

足をひきづって川を渡りバンガローに戻ったらすべての窓を目張りして

練炭を炊くか

 

それとも熱い湯にたっぷりの睡眠薬をのんで入り手首をすっぱり切って

おしまいにするか

 

それとも

もう一度だけやるか

 

答えを出すのに少しの時間がかかった

 

まだなんとかなりそうな右膝にテーピングをしサポーターをつけてから

もう一度ラペルで

貧相なスラブ地帯とくの字かちを掃除した

 

このスラブがボルト3本目位から上にあるなら

グランドフォールしないなら

ありとあらゆる母シキュウ力で

突っ込むが・・

地上約8メートルのノーロープでやることじゃない

いくらもうすぐ消滅するとしてもだ

 

ひとつだけ勝機があるとしたら

この岩の状態だ

怪物は熟すだけ熟していていまこそ抱き頃だ

 

降りる前にメンタマに蹴りを入れると

身体が赤らんだ

 

バリバリに乾燥してる今なら、もしかしたらと・・

 

下部の3段をこなしメンタマを愛撫して二つねピンチを凌ぎ

くの字に送る、思わず身体が硬直する

地獄に落としてやる!私を抱いたことを後悔させてやるーの怪物のあえぎ声は無視しかちをとる

一気にに傾斜が緩む壁に半月板が悲鳴をあげる膝をあげクライミングシューズの先端をスラブの入り口に這わせる

一瞬下を見たとき

クラっとした

2メートル×2メートルのマットは干からびた民宿の畳に置いてあるカビくさい座布団ぐらい小さかった

背中から汗が

待ったなしだ